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絵を描くってなんだろうか
2010-01-26 00:59:18  | コメント(4)
そもそもの基本として、絵を描くというのは己を表現する手段のひとつであって、悩むためにすることではないと思う。 そこに上手い下手いはなくて、自己を表現出来さえすればそこでその作品は初めて完成する。それが魅力であり、個性だと思う。 悩みながら絵を描くのは根本的に間違ったスタイル。それだと必然的に描いた絵すべてに迷いができて、作者の自己表現がなくなってしまうから。 では正しいスタイルはなにか?それは人それぞれかと思いますが、必ず含まれないとならないのは「楽しむ」姿勢です。 楽しんで描いた絵は、幼い子供が描いたものでも素晴らしい魅力があります。どんなに手先の器用な人でも、絵の上手いひとでも、楽しんで描かなければ幼児が画用紙に描いた両親の似顔絵にすらかなわないのです。 絵は心を映す鏡で、そこに一番反映されるのは描き手の絵に対する姿勢です。 鏡が写すものは時によって違います。そこに完全という言葉はあってはなりません。仮に絵というジャンルに終着点があるなら、それは鏡が割れる=絵をやめるときでしょう。 手先の器用さや、周囲の評価ばかりに気を取られていては、いつまでたっても満足いく絵なんて描けません。 まぁ何が言いたいのかって、せっかく絵を描いているのだから楽しまなきゃ損だし、悩みながら描くくらいならやめちゃえば?ということ。 絵について考える=悩みではないですよ。試行錯誤は必要だけれど、それを「あれはできない」「これもできない」「どうせ私はこの程度だから」と決めつけて、自らを泥沼に引きずり込むのが悩みというもんです。描きながら既に諦めていては、描けなくて当たり前。 いつか描けるようになる!でいいでないの、肩肘張りすぎたら、崩れちゃいますよ。 まぁそういうわけだから、悩める絵描きさんたちはもうちょい楽しむことをおすすめしますよ。

あやめゆうきさん>

コメントありがとうございます~

アタリとかパースなんてのは人それぞれなんで、出来れば覚えておいた方が良いですが必要ない人は必要ないですよ。
描き方の一つだと思っています。
うちの友人には、アタリだとかパースだとか一切なく鉛筆画だけで線画になるような人もいます……。これがまたうまくて……と、話がそれました。

プロと言っても隅っこの隅っこですし、わたしは立場的には素人とそんなに立ち位置は変わりません。
しかしながら仕事であるという事には責任もあるので、プロとしてというよりは社会人としての甘えが許されない部分が絵である、みたいな感じでしょうか。
お褒め頂けるほどそこまで深くは考えてませんです。すみませんw

悩んだ末に成果があればまたいいですけど、始終悩んで描いた絵ってどうしてもパターンが一定化するので、どっちかというと悩むんでなく、試行錯誤するってイメージを持つことをお勧めします。
ただ悩んでるだけだと解決しませんが、じゃあこうしてみよう、ああしてみようと考えることで思いの外自分の気に入った作品が出来る事があると思います。そうなると楽しいですよ。

> わたしは、過去も現在も、悩む部分は人間いつも同じように感じちゃいます。

人間って基本単純で、単純が故に複雑に考えようとしますからね^^;
人によってはそういう考えもありなんだろうと思います。

個人的には見ている限り、あやめさんの悩み方?は度を越しているわけでもなく適度でいいかなあ、と思ってます。
投稿者:Reliah  [ 2010-01-27 08:57:00 ]


こんにちは!

 ブログ内容も、コメントも、とても興味深く読ませてもらいました。
 いやー、アタリとか、パースとか、すごいです! 自分そういうのが全然ダメで……。安定しないわけだなと。
 いろんな描き方がありますよね……。特にプロだと、安定したが力を求められるから……これってすごいですよね(って何度も言ってすみません!)。甘えが許されないなって。

 絵を描くときは、ある程度自信をもって突き進まないと、持ってるものが光らない、ってことはありますよね……。
 自分は、悩みつつ行くほうですけど(笑)!

>私たち現代人は過去の巨匠たちからすれば薄っぺらい苦悩でのたうちまわっている

 わたしは、過去も現在も、悩む部分は人間いつも同じように感じちゃいます。

 書き手それぞれ、考えがあるものだなって思いました!
投稿者:  [ 2010-01-26 19:33:17 ]


こいしるつこさん>
コメントありがとうございます。

創作というものは難しいですけど、違う側面から見れば至極単純明快なものでもあると思います。そもそもの話、何事においても優劣付けること自体が何かおかしいですからね。

自分の場合、悩みながらの創作は完全否定しているわけではないですが、いつまでもそんな状態でいていい作品が作れるわけがないというのは確信しています。
ちなみにこの記事を書いたあとにちょっとしたことで気がめいってしまい、しかし描かなければならないというジレンマを抱えて描いていましたが、酷いことにアタリをとってもパース狂ってました(汗
もちろん下書きの時点で消しましたが……。

歴史上に残る生や死をテーマにした作品については、少々違うかなあとわたしは思います。彼らが苦悩したのは確かでしょうが、それはわたしたち現代社会に生きる人間よりも重厚なものだったのではないでしょうか。
昔の人たちは寿命も短く、戦争などのすぐに迫っている死の危機に日々恐れを抱きながら、それでも自らを奮い立たせて現在でも残るようなものを創造したのだと思います。
それらは現代社会、とくに戦争をしなくなって相当たつ日本で考えれば特異な環境であり、私たち現代人は過去の巨匠たちからすれば薄っぺらい苦悩でのたうちまわっているのです。
言葉が悪いとも感じますがはっきり言えば、私たちの悩みなど甘えでしかなく、その程度の事で何カ月も何年も悩んでいたって滑稽でしかないと思うのです。
わたしもメンタルはそんなに強くありませんし、悩む事はあります。数年前は他人の評価を気にしてびくびくしていました。が、そうしてネガティブな方向にいてもチャンスも技術の向上もなく時間が過ぎていくことに気がつき、極力悩まないようにしています。

実際自分が体験しているので自信はありますが、だからといってこれが万人に通じるものとは思っていません。
が、悩むなと言っているわけではないです。深く考えすぎて折れちゃったら元も子もないから、もう少し楽しんでみたらどうかな、と思っています。
投稿者:Reliah  [ 2010-01-26 09:43:33 ]


はじめまして、おはようございます。
記事の内容に大いに共感するところがありましたので、一言残させていただきます :)

『自己を表現出来さえすればそこでその作品は初めて完成する』。
わたしも常々そう考えています。そういう意味での『作品』に、優劣はないと思います。みんな揃って一等賞、ですよね :D

ただ、悩みながらの創作については多少意見が違いました。

わたしはこれもまた是だと考えます。悩むという消極的姿勢であれ、やはりそれは己との対峙ですから。愚の面は確かに大きいでしょうが、無駄ではないとわたしは思います。
話が絵画に移ってしまい、やや壮大になりすぎますが、今に残る名画にも、作者が死と生の狭間で悩み苦しんで生まれたものは多くあります。

ただ、これを日常の手慰みに当てはめるのは……
ちょっと厳しいかもしれませんね(笑)

この記事を拝読しながら、うなずいたり、少し相違する自分の考えをまとめてみたり、たいへん楽しむ事ができました。
いずれ、自ら話し始めるような作品を描けたらなあと思います。
投稿者:  [ 2010-01-26 06:08:26 ]